2024.1.13.Sat

仏教とヨガ

 

 

以前、【量子力学とヨガ哲学】という記事を書きましたが、今回は仏教とヨガについてです。

(量子力学とヨガの記事はこちら…【量子力学とヨガ哲学】)

 

 

ヨガをただのエクササイズの一種だと思っていた方からすると、仏教と並べて語られたり、本当の自分とか宇宙がどうとか言われても…と戸惑うかもしれませんが、そもそもヨガはインドの哲学学派のひとつです。ヨーガ学派と一対の存在とされているサーンキャ哲学では、ヨガ修行者が瞑想の実践によって知り得た、宇宙の仕組みが説かれていたりします。仏教は宗教なので信仰するものですが、ヨガは実践によって感じ、考え、気づく哲学的なものになります。

 

さて、仏教とヨガの共通点ですが、自分なりにまとめてみます。これらが何故生まれたのかというと、どちらも『苦しみ』から始まっています。この世の中は苦しいことだらけ 。 どれだけ誤魔化しても不安が離れない 。であれば苦しみに向かい合って理解し手放そう、という考え方です。何かを足すことで幸せになるのではなく、手放すことの大切さを説いています。

 

 

仏教は生老病死からの解脱

お釈迦様は王子として生まれたのでお城で最高の食事、最高の衣服を与えられ、恵まれた豊かな環境で暮らしていました。しかし一歩外の世界へ踏み出してみて、初めて世の中には苦しみというものがあると知ります。

 

病気の人を見て「世の中には病気というものがある」ことを知り、老いた人を見て「誰でも年をとって老いていくものだ」と知り、死んだ人を見て「誰でも死ぬ時がくる」ことを知ります。

 

そもそもこの世に生まれ落ち、生きていくこと自体が苦しみなのではないかと考えます。そして、この生老病死の苦しみを手放すことを学ぼうとします。

 

お釈迦様は瞑想することで悟りを得られました。お釈迦様が生前に語ったものを弟子が書き残した『ダンマパダ』(法句経)にはヨガに関する記述がありますので、お釈迦様はヨギであったと考えられています。

 

 

ヨガは5つの煩悩からの解脱

ヨガでは、私たちを苦しめるのは5つの煩悩(クレーシャ)であり、それを手放すことで本当の幸福は訪れるとされています。5つの煩悩とは、

 

1. 無知

間違った妄想。例えば無常なものを永遠と思うこと、不浄なものを清浄と思うこと、不幸を幸福と思うこと、非自己を自己だと思うことなど。

 

2. 自我意識

プルシャとプラクリティを同一だと勘違いすること(プラクリティによって感情が作られているだけなのにそれを”自分”であると思ってしまうこと)

 

3. 愛着

渇望を呼ぶ快楽(プラクリティによって生まれた快楽は、必ず枯渇感に繋がり終わりがありません)

 

4. 嫌悪

苦痛の記憶に対する反発の感情(過去の苦しみに縛られると成長できません)

 

5. 死への恐怖

生きることに対する執着(これは過去世の記憶が原因とされていて生まれる時にすでに携えています)

 

仏教では禅を行うところ、ヨガでは『クレーシャはディヤーナ(瞑想)によって消滅する』とされています。(ヨーガスートラ第2章11節)サンスクリット語の【ディヤーナ(dhyana)】を漢字に当てはめた【禅那(ぜんな)】の略語が【禅】なので言葉は違えど同義ですね。

 

 

 

ヨガと仏教が目指す境地

 

仏教の目標は、この世は全て縁起によって成り立つ『空』であることを理解し、涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)の境地に至ることを最終目標としているそうです。 いっさいの煩悩が消された静かな心の状態です。ヨガの目標は、自分の本質がプルシャであると気づくこと

 

せわしなく働く心の作用を止めて、純粋な精神状態になること。

“自分” とはこの心や体のことではないと気づくこと。

自分は宇宙のほんの一部であることを実感し、万物と調和すること。

 

この境地に至るまでの修練を分かりやすく8段階に分けたのが八支則】です。通常レッスンでは3(アーサナ)4(呼吸法)をしますね。シャバーサナでは567(瞑想)をされていると思います。1・2(ヤマ、ニヤマ)は日常生活の中で各々気を付けていただきたいことです。そうすることで8(悟り)の境地に至るとされています。

 


 

プルシャ(真我・魂)は本来、幸福を超越した純粋意識で、物事をただただ観察している純粋無垢な傍観者です。私たちはこの社会で与えられている役を全うしていますが、それは役であって本当の自分ではなく、プルシャはただ静かにみている観客であることに気づくことが大切です。

 

瞑想は、外側へ向かった意識を内側へ向ける作業です。そうすることでプルシャ(真我・魂)に近づき、プラクリティが作った物質社会と意識を切り離していきます。日常的に心の観察をすることで、自然に煩悩を弱めていくことができます。

 

ちなみに、プルシャにトラウマや罪の意識、後悔、執着など様々なプラクリティがこびりついたまま死んでしまうと、やり残したことをする為にまたこの世に輪廻転生しなければなりません。ですから、出来るだけ今世でやりたいことはやってみる、悪いことをしたら謝ってカルマを解消しておく、ヨガや瞑想等で鍛錬しておくことをおすすめします。

 

ヨガや瞑想、その他の方法でプラクリティをプルシャから取り除いてあげると、もうわざわざこの世で学ぶことはないので地上に生まれ落ちることはなくなり、苦しみからも解放され、仏教用語でいうところの極楽浄土へ行けるとされています。これをモクシャ(解脱)といいます。

 

生きている限り、心や肉体というプラクリティを手放すことはできませんが、視点を変えることはできます。心や肉体を斜め上から大切に愛しく見守るようなプルシャ的な物の見方ができるようになると、生きることが少し、楽になるかもしれませんね。