2024.1.10.Wed

罪と罰

 

 

闇属性の一族のその後。

年末年始にかけて、彼らの愚行がたくさんの人々に周知されることとなり、大恥を晒したと聞きました。人々から呆れられ、軽蔑され、地獄だろうと思います。『因果応報』という言葉しか浮かびませんでした。

 

 

因果応報

 

私は仕事柄、お客様から「因果応報ってあるのですか?」とよく聞かれます。世の中を見ているとそんなものはないと思ってしまいますが、ヨガ的には『カルマ』といって自分の行いが結果を導くと考えられています。

 

カルマには3段階あるとされていて、行いの結果が瞬時に返ってくるとは限りません。

①原因となる行い ②潜在意識に残る ③結果が現れるというプロセスがあると考えられています。①から③までの時間が空いてしまうと、原因と結果を結びつけられなくなります。しかしカルマの種は自身の中で生き続け、その応報は今日か明日か、数年後か、または来世でかえってくることになります。

 

例えば、悪いことをしても謝罪せず、何とか誤魔化してバレずに済んだ!とその時は思っても、カルマの種は本人の潜在意識に残り続け、思わぬときに思わぬ形で顕現化することがあるということです。

 

何十年も人を裏切るという罪。人の心を操って騙すという罪。嘘をついて保身を図り人を貶めた罪。現実が受け止められず怒りの矛先を誤る罪。焦りから人を脅迫するという罪。

 

謝罪しなさいと裁判官に提言されても尚拒み続け、数々のカルマを背負う決断をされた彼らには、とても早いうちに応報が現れ始めました。自ら選んだ道とはいえ、一族もろとも地獄に堕ちていくのはどんな気持ちだろう。

 

 

その後、私たちは無事勝訴しました。

勝訴しました

 

 

 

 

カルマを超越したところへ

 

例えば何かに一生懸命に取り組んだ結果、それが思わしくない結果に終わってしまったとしても、「一生懸命頑張った」という種は自身の中に生き続け、いつか花を咲かせることになります。これは良いカルマです。

 

ですがヨガ的には、良いことも悪ことも、そもそも『カルマ(行いと結果)に執着しない』という境地を目標とします。大切なのは、結果を行いの動機にしてはいけないということ。

良い結果を求め、それで成功したとしても、やはりそれは有限なものであってヨガの求める状態ではありません。

 

結果が全てであるという考えから解放され、この一瞬一瞬の自身の行いに意識を向けること。今この瞬間の行いを全身全霊で楽しみ、満足することができれば、人生はもっと楽しくなりそうです。

 

 

ヨーギーのカルマは白くも黒くもない

それ以外の人のカルマは三種類(白・灰・黒)である

 

ヨーガスートラ 第4章7節