2025.4.21.Mon

【諸法無我】自分探しから自分無くし

 

 

本来、ヨガが目指しているのは、【自我から解き放たれた境地】ですが、ヨガを続けていると必ずと言っていいほど、逆に自我が増大する時期が訪れることをご存知でしょうか。

 

ヨガをするからには難しいポーズにも挑戦したいという欲求や好奇心が湧き起こります。

挑戦と成功を繰り返して得られる高揚感と自信。心と体がどんどんいい方向へ変わっていくので自己肯定感も上がります。

自分史上最高の状態を更新し続けることが楽しくてたまらない時期。私の個性、この体、私という人間をより意識することになり、承認欲求が高まります。

うまくいってもいかなくても、過剰に人と比べては優越感に浸ったり劣等感に苛まれたり、もっともっととこだわりが生まれて執着心が育っていきます。

 

自我から解き放たれた境地を目指すヨガをしているのに、このように自我が肥大していくのです。これはよく言われる”自分探し” で、自分らしさを確立していく過程では当然のプロセスかもしれません。

 

 

いざいざ自分無くしの旅へ

 

そこで留まっているのを批判する訳ではありません。ただ、本来のヨガではその先を目指すのです。目指す境地は、そんな「わたし」からの解放。

 

では、「わたし」とはそもそも一体何なのでしょうか。

 

この体という個体を以て「わたし」でしょうか。

これまで生きてきた積み重ね、その記憶、経験、形成された性格が「わたし」でしょうか。

 

 

でも、自分が自分と認識しているものは、いわば「自分と仮定しているところに集まった様々な構成要素の集合体」であってフェイク的なもの。

量子力学でも、この世の全ての基盤は極々小さな粒々で出来ているので、断続的で離散的、そして不確定なものであるとされています。

誰よりも修行して悟りを得たブッダは「自分なんてものは無い(諸法無我)」と結論づけました。

 

更にヨガでは、真我(プルシャ)に気付き安寧と至福の座に安住しようとしますが、世の中が逆行してどんどんエゴイズムが激化していくので抗う方が難しいです。

では、そのまま自我が膨らみ続けるとどうなるのでしょうか。

 

これが私らしさ!これこそが俺!が風船のように膨らんでいくと、それに囚われの身になって執着や苦しみも膨らんでいきます。そしてちょっとした刺激でぱーん!と割れてしまったりします。

 

ヨガの境地に達することができると、外部環境や情報に惑わされず、自由に豊かに生きやすくなるのです。泥水をはじいて咲き誇る蓮の花のように。

 

 

真理の使いかた

 

これはブッダが導き出した真理なので、生きていく上で支えになったり救いになるものです。

確かに、私はワンネス体験で悟りの境地を実体験させてもらったけれど、それ以来毎日24時間「自分なんてものは無い」の境地ではありません。

 

特にビジネスの場面では各々を分かりやすく個別化しないといけないので、名刺には肩書きが書いてあります。代表取締役社長とか部長とか課長とか…私の名刺にはYoga Educatorなんて書いてあります。自分の立場をしっかり認識しないといけません。

 

しかしこれもブッダの継承者である龍樹は、そんなものを含め全ては「空(くう)」であると説きました。肩書きというのは、ただの「役割」であって実態はなく幻想であり、フィクションであり、何らわたしやあなたを確定づけるものではありません。

 

社長は、会社があり社員がいるから社長と呼ばれる役割をすることになっていて、相互関係から社員は社員を演じます。

家族も、他人から「はい、今から家族というものになりましょう!」と家族の演技が始まり、依存関係が始まります。子供は「子供」の役割をして親は「親」の役割をしますが、それが「わたし」や「あなた」の本質ではありません。私たちは言葉で物や人を縛り付けてしまいますが、例えば退職すれば、縁を切れば、その言葉や関係性は諸行無常、変容していくので、全てはフィクションです。龍樹はこれを『言葉の虚構』としました。

 

 

決めるから決まるのであって、それは妄想でありただの思い込み。本来は何の実体もない不確定なもの。そう考えると自由の風が吹き抜ける人もいれば、足元が覚束なくなり不安になる人もいると思います。

 

なので要は、人それぞれ臨機応変に、24時間諸法無我でなくてもいい。

苦しみに打ちひしがれた時に救いになるかもしれないこの真理というものを、念の為ポケットに携えておいてもいいんじゃないでしょうか、ということです。

生きていくうえで自我は大切だけれど、そこに囚われ過ぎず、真我の存在に気付く為にも、是非ヨガや瞑想を続けてください。

 

 

するといつか、人間関係が辛い時、痛く悲しく苦しい時、生きるのを諦めてしまいそうな時、「その悩み自体、そしてそんなことに悩んでいる自分という実体さえもないのだ」という真理を知っていれば、ほんの少しでも気持ちが楽になるかもしれません。凝り固まった狭い視野から、柔軟に客観的に、自由に物事を捉えられるようになるかもしれません。幻想を取り払ったとき、私たちは全てと繋がっているという一体感と解放感を得られます。

 

 

真理も哲学も机上の空論ではありません。宗教なんて飛び越えて、自分にとって使えそうなものを知っておくと、実生活においてここぞという時にきっと救いになるはずです。

 

 

 

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