量子力学とヨガ哲学
例えば私がいようがいまいが、林檎は木から落ちるし、地球は太陽の周りを回り続けることには変わりはない。当然そう思うのですが、量子力学的な考え方に当て嵌めると違うらしいことをご存知でしょうか。
” 観察する者 ” がいて” 観測する” までは、物質の存在は確定しない、そしてどう観測するかで現実が変わってくるという、意識と現実の創造の関係が伺えるような理論があるようです。
この話を聞くとヨガを学んでいる方はお気づきになるかと思います。
ヨガ哲学でも、観る者をプルシャ、それ以外(形ある物質も目で見えない感情等も全て)をプラクリティと考える理論があります。
プルシャとは、【本当の自分】【真我】です。言い換えれば 【魂】【霊魂】とも表現できます。
本当の自分というと、この体や性格、自分らしさのことを思い浮かべる方もいらっしゃるかもしれませんが、私達が普段 ”自分” ”わたし” と捉えているものは ”エゴ” ”自我意識” であってプルシャではありません。(プルシャは観ることしかできないので、私を私と認識すること自体がプラクリティの働きです)
プルシャは個人的な記憶や思念が取り払われた極々純粋なものとされています。
プルシャは、世間的なよろこびの一切が太陽を前にした星の光のごとく霞んでしまう、無限の喜びに満ちている
プルシャという観察者に見つめられたプラクリティが騒ぎ出し、蜘蛛のように糸を紡いでこの世を作り出しているというのがヨガ哲学の考え方です。つまり、この世は自分の産物であると同時に、世界は万人の集合的な無意識の共同作品であるということです。量子力学の考え方とちょっと似てますね。
プラクリティが転変していくことで、自我意識や表層意識、物質世界がどんどん展開されていきます。ちなみにこのプロセスを逆行して元のプルシャ(真我)へ遡っていくことを環滅といいますが、これはヨガや瞑想を行うことで叶います。
プルシャという素晴らしいものを携えていながら私達は、エゴや体の感覚があたかも”自分”であると思い込み、そしてこの世のプラクリティ(物質、雑念など)に振り回されて生きています。これは勿体無いと思いませんか?
我々の存在の一切が苦であるのは、己の本質が清浄なるプルシャたることを知らずして、プラクリティに属する心の活動であると誤認しているからである
心はザワザワと動き続ける儚い物質(プラクリティ)でしかないのに、大きな苦しみや悲しみを呼び、私達の人生に大きく影響してしまいます。
そしてプラクリティによって喜びや快楽も得られますが、それも同じく儚いもので本当の幸福ではないのです。なのでまずはこの心の動きを止めてみます。心の動きが止んだ時、私達は真のアイデンティティ、永遠不滅のプルシャに安住することができます。
いつものヨガがちょっと特別なものに感じましたでしょうか。このような知識も頭の片隅に置いて、より奥深いヨガの魅力に触れてみてください。