幽体離脱(人生観を変えた宇宙旅)
※この記事は多くの方に読まれていてたくさんお問い合わせをいただきます。「不思議な体験や幽体離脱をしてみたいです。ヨガをすればできるようになりますか?」というものですが、読んでいただければ分かる通り、私は元々そういう体質なだけで、これはヨガという言葉を知る10年以上前から始まっていることです。
勿論、ヨガはその修行の結果として悟りの境地へ至り、超常的な能力が得られると様々な経典にも書かれていますが、それを最大の目標にするものではありません。
幽体離脱のコツはあると言えばありますが、その方法を伝授したりなどの指導はしておりません。この記事はひとつの体験談として無邪気な気持ちで読んでいただけるとありがたいです。
10~20代にかけて、私は頻繁に幽体離脱をしていました。もちろん当時は「幽体離脱」なんて言葉は知らなかったけれど、意識がするっと体を抜けてしまう現象は、自分の中ではお馴染みのことでした。
幽体離脱の移動は「泳ぐ」と「飛ぶ」が混ざったような感じで、重い水の中をスローモーションで動く感覚です。ゆっくりと家の中を探索したり、調子がいい時はちょっと飛んでみたり。
その感覚が気持ちいいし面白いので、遊び半分で怖いこととも思わず、あまり深く考えたことはありませんでした。
ですがある夜はいつもと違いました。
そのときは、一瞬にして宇宙にまで飛んでしまったのです。
宇宙では私たちは ”光”
いつもは体を抜けても「自分の体の形」が何となくわかりつつ動かすのですが、宇宙では私はただの「光の玉」でした。輪郭がある光の玉ではなくて ”発光体” です。
まわりには同じような光が浮遊していて、天の川のように、銀河のようになっていて、大きな輪を描くようにゆっくりと流れていました。目の前には美しい大きな地球がどーんとありました。
光の存在になって自分の体がないのに、私はどこで見て、美しいなどと感じているのだろう?と不思議でした。脳がないのに、色々考えることができました。
とてもよく覚えているのは、地球では「現在」があって少し前には「少し前の過去」があって、少し先には「少し先の未来」があって、それを常に意識していると思うのですが、宇宙では常に「今」でした。今の次の瞬間にまたその時の今がありその連続。
この感覚をどう説明したらいいか悩みましたが、ぱらぱら漫画がいい例えになるかなと思いました。何枚もの紙に描かれたキャラクターがあるとして、それをぱらぱらっとすることでなめらかに動いているように見えます。
宇宙では、1枚1枚がそれぞれ、前後の紙の存在を知る由もなく、刻一刻、次々に、それぞれが別物として瞬間的に存在しているという感覚でした。
これが本当に新鮮で、とても面白く感じました。
ただ光がここに在る…次の瞬間にまたその時の光がただ在る…。
その一瞬一瞬で完結する感じが凄く面白いのです。
体がないのにどこでそう感じているのだろう?とまた考えてはぐるぐる堂々巡りでした。
自然に思い出す輪廻転生システム
自由で開放感があり、快適に浮遊していたのですが、しばらくすると前方に見えていた地球のその右側に、大きなスクリーンが出てきました。
その画面には、様々な時代の様々な国の一場面が、次々にスライドショーのように映し出されました。覚えている分で言うと日本はありませんでした。ヨーロッパっぽい石造りの建築物だったりアメリカ西部開拓時代っぽい赤い土がたくさんある場面、または見たことがない壮大な景色のなかで、筋肉質の男性が誰かと話していたり色鮮やかなドレスを着た女性が歩いていたり。そういった様々なシーンを映画を観るようにぼーっと観させられました。
私は自然に、「性別も国も自分で選べるんだなぁ」「過去にも生まれることができるんだなぁ」と思っていました。これは正しいのかどうか知らないけれど、その時は自然にそう思いました。そして、次はどこに誰として産まれよう?なんて考え始めていました。
その時に私は、「あっ!まだ今回の人生が終わってなかった気がする!」と急に思い出しました。
思い出したその瞬間というか、思い出しかけ…何ならちょっと前のめりくらいで、私は地球の上空へ瞬間移動しました。さっきまでは丸い地球全体が見えていたけれど、今は目の前にある訳です。
次に、国は日本だった気がすると思い出すと、日本上空へ瞬間移動しました。関西地方の…と思い出すと関西上空へ、そして自分の家を思い出すとGoogle Earthのようにどんどん焦点があって近づいていきました。
いつもの幽体離脱では思うように動けないのに、この時は思えば一瞬にしてびゅんびゅんと雲を切るように移動できました。
自宅の屋根を上空から見たのが最後で、その時には自分の性別や年齢、容姿などを全て思い出していました。でも、まだ他人事のようでした。あぁこういう華奢な身体だったなぁ…おとなしい人だったなぁ…と遠い昔のことのように感じました。とりあえず私は、この娘の人生の続きをする為にその体に戻ることにしました。
地球の現実に打ちのめされる
地球に戻ってきた時の感覚が忘れられません。
戻って来れた!という安堵感でいっぱいになったと思いますか? それが、実際は真逆だったのです。
「なんてところに落ちてきたんだろう…。ああもう宇宙へ戻りたい」という気持ちでいっぱいになりました。それは血の気がさーっと引いて、心臓がばくばくするほどのショックでした。
体に戻ってもすぐには動けませんでした。落ちてきたことの精神的ショックと、あまりにも肉体が重いからです。
寝ている自分の体にパズルのように合わせて意識を統一して、肉体を連れてうまく操縦しないとまた幽体離脱しそうだったので、馴染むまで鉛のような容れ物に入っていました。その間も私は絶望感でいっぱいです。
この肉体というものは何て重くて面倒なんだろう。どこへ行くにも連れていかないといけません。不自由でしかないです。ケアしないと簡単に傷むしぶつけると怪我してしまうし老いていく。
次に時間という概念。チクタクと時計の針が一定に時を刻んで、時間はお行儀よく一方方向にしか流れないということに気が狂いそうになりました。
「私はこんなとんでもなく面倒な地球で、あと数十年間もこの子の人生をやらなきゃいけないの?? 嘘でしょう!!?? 」と絶望し、どうしても現実を受け入れられませんでした。
いつもの地球内での幽体離脱は自分の体に戻るとひとまずほっとしていたのに、宇宙から戻ると「肉体を持ってしまう煩わしさ」と「時間の制約」に打ちのめされ、猛烈な拒絶反応を起こしたのです。
自分で選択して戻ってきたのに。できることなら放棄して、また宇宙で光になっていたいと思いました。でも意識が体に馴染んでいくとそんな感情も薄れていき、というか観念して、当たり前のように私という人間の存在を受け入れていきました。そうして私は今もこの人生の続きをやっています。
変わらざるを得ない人生観
私はこれまで全てのことに恵まれてきたこともあり、大いに人生を謳歌していました。
ですがこの体験をしてから様々な価値観が変わりました。
例えばこの世に生命が誕生するときに「おめでとう!」と手放しで祝うことや、誰かがこの世を去るときに涙を流して悲しみに暮れる…という感覚は、全く違う観点から観るようになりました。
赤ちゃんが産まれる時にぎゃーっと泣くのは、呼吸の始まりという理由以外に、嫌過ぎて泣いてるんじゃないかと思ったり。だって地球に落ちてきた時のあの絶望感を思えば…。最近知った『地球監獄説』は妙に納得できてしまいました。
愛猫が大病を患ってこの世を去った時には、私はとんでもなく大泣きしたものの、「やっと自由になれたね、よく頑張ったね、ありがとう」という気持ちで送り出すことができました。
ふわふわの白い毛やガラス玉のような美しい瞳は愛しいし、むっちりした固太りの体を抱けないことや可愛い声が聞けなくなった寂しさはあるけれど、それというのは全て地球におけるこちら側の執着。
彼女自身は既に解き放たれている。そう思うとただ愛猫が自由で安らかであることを祈るようになりました。
体験前に愛猫を看取った時は何ヶ月もこの世の終わりのように落ち込んだものです。
その後、私はヨガやインド哲学、仏教を学ぶことになり、この世は一切皆苦、あらゆる修行はもうこの世に輪廻転生しない為であると知るわけですが、この経験のおかげで答え合わせをするような感覚でした。特にお釈迦様の説くことには畏れ多くも共感します。
そして、地球に生まれ落ちたことだけでもう罰ゲーム…ではなくて、ならばどう生きるか、どうこの身体を使いこなすかを前向きに考えるようになったのです。
小さい頃から人が見えないものが見えたり、聞こえたりしていましたが、私は脳に障害はないし薬物依存症でもないし、精神疾患もありません。嘘はつくのもつかれるのも大嫌いです。記憶と当時何ページにもわたって記録したノートを見ながら記事にしました。
今でこそ色々知識はありますが、当時は寝ても覚めてもフルートのことばかり考えて練習に励み、エマニュエル・パユやマクサンス・ラリューに夢中だった頃。
何の知識もないところに先にこうした体験をさせられたのですが、数十年経った今、様々な説や同じような体験をされている方のお話を聞くことができるのでより理解を深めています。
何の為に生まれてきたのかと深刻に考える必要はないと思います。ただ自分が正しいと思うことをして愛する人たちと過ごす。たくさん修行して楽しんだもの勝ち。
思い残すことなく生き抜くには、宇宙で体験した「この瞬間が全て(実はこの一瞬一瞬で全ては完結している)」というあの感覚を、地球でも実践できるようにすることが1つのコツかと思っていて、その為にもヨガや瞑想を続けています。
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