2025.5.25.Sun

知覧特攻の地を訪れて

 

 

『知覧特攻平和会館』と『ホタル館 富屋食堂』に初めて訪問しました。

感じたことや印象に残ったことを記事にしたいと思います。

 

 

トメさんとなでしこ隊

 

同じ女性だからか、母代わりの鳥濱トメさんやご奉仕されたなでしこ隊に感情移入しました。

若くして国を背負った隊員たちに、最後に食べたいものを食べさせてやりたいと食事を提供していたトメさん。彼らにとってどんなに大きな存在で救いだっただろう。

 

神格化された特攻隊員。

だからこそ検閲が厳しいので手紙にも本音や弱音を吐けない。

強く勇敢でなければならないから。

 

天皇への忠誠心、命をかけて国を守るという強い信念を抱えて、凛々しく、どこか誇らしげもある表情の写真が多数残っています。特に『知覧特攻平和会館』はそうした印象だったし、当時の報道もそうでした。

 

 

でもトメさんによると、「そんな隊員なんてひとりもいない。皆死ぬのが怖いと泣いていた」ということです。そんな隊員たちの為にこっそり『富屋食堂』で手紙を書かせて、翌朝遠く離れたところから投函していたそう。この行為は重罪なので命懸けだったと思います。

そして隊員からリクエストされたものの材料がない時は、自分の身の回りの物を売ってお金を作り、闇市で材料を調達していたそうですが、そこまでできたのも、隊員の本当の姿を目の前で見ていたからこそ。

 

 

桜の枝を掲げて特攻隊員を見送るなでしこ隊の有名な写真がありますが、少女たちはみんな肩を震わせるようにしてうつむいています。前日普通に話していたお兄さんたちが、二度と帰ることのない飛行機に乗って行ってしまうのだから、とてもじゃないけど見られないのです。

涙が溢れ、桜を持つ腕を上げるのがやっとという状態なのに、当時はみんな勇敢に腹を括っていたのだと、そういう風潮にしたい思惑があるのも恐ろしいことだと思いました。

 

 

 

 

印象に残ったエピソード

 

そういうこともあって、私は彼らの本音が垣間見れる『ホタル館  富屋食堂』の方が心を動かされました。

 

どちらの施設も撮影禁止なので記憶が頼りになりますが、特攻作戦についてこんな冷静な感情を持っていらっしゃったことが辛く感じました。

 

 

人格もなく、感情もなく、論理性もない。

自分はただ敵艦に吸い付く磁石の鉄の一分子に過ぎないのだ。

理性を持って考えてしまったら、こんな事はまともじゃない。

でも、ただの機械である自分には、何もいう権利はない。

 

 

 

どうしても湧き起こる感情は、防衛の最前線である沖縄を守る最後の手段、最後の足掻きであったとしても、なぜこんな無謀で残酷な作戦が罷り通ってしまったのかという疑問…というか憤り。

 

 

 


 

 

また記憶をもとにしているので正確ではないですが、特に印象に残ったエピソードは藤井中将。

 

 

藤井中将は特攻兵の教育係で、心根が優しく、熱血漢で情に厚く、忠誠心のある人だったようです。そんな人柄なので可愛い教え子たちを死の地へ送り出すことに自責の念を感じるようになります。

 

「自分もあとを追って必ず出撃するから」と教え子たちを送り出しておいて、自分は毎日生きていることに耐えられなくなります。そしてこのままでは「教え子たちとの約束を果たせない」ということで特攻に自ら志願します。

 

でも幼い子供が2人いることと、「教育係の義務を投げ出すことになる」という理由で却下されます。それでも「教え子たちだけを死なせる訳にはいかない」と志願し続けます。

 

このことを妻は知って驚き、当然説得しました。それでも1番の理解者である妻は、夫の性格上やり遂げることが分かっていたので、「私たちが生きていたら心残りになり存分に活躍できないでしょう。先に行って待っています」と2人の子供と共に入水自殺。

 

藤井中将は血書嘆願にて特攻志願。ついに異例の任命がなされ、29歳5月、「われ突入する」の通信を最後に帰らぬ人となりました。

 

 

 

 

現地を訪れて変わった意識

 

 

私はこれまでも歴史として知覧特攻隊のことは知っていましたが、漠然と「可哀想」と思っていました。

 

でも現地を訪れて感じたことは、悲惨な ”犠牲者” として扱ったり神格化し過ぎるのではなくて、彼らはただただその時代を懸命に行き抜いたんだなということ。どちらかと言うと、それを讃えたい気持ちになりました。

 

 

もし、私が同じ時代の同じ立場だったら。

理不尽さや怒りで気が狂いそうになっても「考えたって仕方ない、もう決まったのだからやるしかない。少しでも家族のため、国の為になると思うしかない」と考えて指示に従うと思います。それについて後世の人から「可哀想に…」と憐れまれるよりは、感謝されたり誇りに思われる方がまだ報われると思いました。

 

 

だから思うことは、彼らは戦火の海に散ったのではなくて、過去の悲しい歴史ではなくて、今もずっと繋がっているのだから、私たちができることは、祈りを捧げることと、こんな惨劇を繰り返さないよう平和の為に考えて実行すること。その上で、今なら可能な多角的視野を養って、ひとりひとりが自分を生き切ること。

 

 

 

いま私達は、「はい、次はあなた、国の為に出撃してください」と命じられることはありません。

声を上げることができず命を捧げ、懸命に生き抜いた彼らから繋がって、そんな今を過ごせていることを忘れないようにしたいです。

 

今回は、現地を訪れることができて本当に良かったです。ありがとうございました。