2024.6.25.Tue

勝訴しました

 

 

 

 

闇の一族に絡まれたトラブル。当然ですが完全勝訴で終えました。

振り返ってみるとなかなか貴重な体験でした。

 

「毒気に当てられる」ということも初めてでした。

180度変わって人を陥れようとした被告本人の愚かさはもとより、相手方のおばさま達が度々引き起こすヒステリーも怖かったです。

信じていたものが全て偽りだったのだからそれは如何ほどの虚しさか想像するに余りあるのですが、私ならば数十年間異常な関係しか築けなかったという苛立ちを怒りに転換してその矛先を他人に向けることはしません。自分を見つめ直します。

家庭環境が悪いこと、経済的に困窮していることは知っていますがそんなことは理由にもなり得ません。

 

 

裁判所の訴状、それに付随する陳述書や数十枚という膨大な証拠資料を見れば真実がわかるのに、被告の嘘(ほんの一部分を切り抜いて全く別のストーリーを作り上げる)を盲信して、身内が保身の為に嘘をでっちあげ、ヒステリックに攻撃されるのが本当に迷惑でした。

 

 

小さな世界で狭い視野で何か大きな勘違いをしてきた人達とはまともに会話が成り立たないということも勉強になりました。

こんなことはあまり言いたくないけれど、個人的には自立できていない(親の家に居候)であることが軽蔑の対象でした。まず自立してください…。初めは少し気の毒に思っていたけれど、最終的には滅多に怒ることのない私が「彼らのことを心の底から軽蔑する。これ以上私に関わらないでほしい」と陳述書に書いて提出するほどになりました。

 

彼らがこちら(原告側)の処罰感情を高めることを次々してくることも理解に苦しみました。私たちは相手方の心からの謝罪があればそもそも慰謝料など要らなかったのに…。

 

 

 

気づいたユーモアの大切さ

 

そんな中でも改めて自分は恵まれていると実感したことがありました。

友人や紹介していただいた各業界の方、数社のベテラン記者さんたち、大企業の役員さんたちが気にかけてくれ、第三者の視点から判断し味方になってくださったのです。

 

裁判官が作成してくださった和解案には、相手方は私に対して真摯に謝罪するべきであるという条項を入れてくださいました。これを読んだときは嬉しくて涙が出ました。

 

ただ、弁護士さんからのメールは「相手方は教養がなく、そのため言葉を知らない、表現力がない、字が汚いことが予想されます。(辛辣過ぎてこれを読んだ時ちょっと笑ってしまいました…)謝罪文を書かせてもこちらの神経を逆撫でされる可能性があります」と懸念されている様子。

相手方も謝罪を書面として残したくないと最後まで抵抗したので、結局その条項は入れなくて良いと折れました。何度も謝罪の機会を与えましたが一生罪を背負って生きていく覚悟をされたようなので何も言うことはありません。

 

 


 

 

私のそばには、「相手と同じレベルに落ちてはいけない」「あなたには気高くいてほしい」と諭してくれる人がいてくれました。時には代わりに泣いてくれたり怒ってくれたり、笑いに変えてくれました。

人の愚かさを知ったのと同じくらいに、人の強さやあたたかさ、優しさ、愛情と知恵、ユーモアに助けられたのです。

 

特にユーモアというのは本当に素晴らしいものだと感じました。

カフェで友人と話していてこの件を面白おかしくネタにしてくれた時、私は思わず吹き出してしまいました。こんなに笑えるということに自分でもびっくりしました。私を元気づけようとしてくれたその気持ちに涙が出そうにもなり…でも笑顔になれて、胸のなかに風が吹き抜けたようで素敵な瞬間でした。私もこうして人を助けたいと思った出来事でした。

 

毒にやられて憔悴していたなか、弁護士さんたち、記者さんたちは声を揃えて「相手方は人間のクズ。はやく縁を切ってあなたには楽しい人生を過ごしてほしい」と励ましてくださいました。いつもカッコいい弁護士さんが真面目な話の最中でも「あのクズは〜、」とさらりと仰るので思わず吹き出してしまって。それは私の心をゆるめる為だとも思うのでじーんと来るものがありました。人の闇の部分をたくさん見せられたけれどそれ以上に、人のあたたかい壮大な光に包まれる感覚でした。

 

ちなみに、被告は過去にも罪を犯していたので私はマスコミ各社から取材を受けたのですが、相手方が三流以下で全くニュースバリューがないこと、にもかかわらず「名誉毀損だ!」と騒ぎたてるのでこれは割に合わないと結論づけられ記事化ならず。

 

 

清濁併せ呑むワンネス

 

2回目のワンネスで知ったことでこれが正しいかは別として。

光と闇、陰陽は切り離せず混合して1つで、実際のところ既に調和しています。調和といっても手を繋いで仲良しこよしすることではありません。だってサイコパスとは仲良くできませんよね。決して分かり合えないのですが、全ては繋がっていて、全ては何かの一部ということ。統合しているものの、そのシェアのバランスや自分がどの役割をするかは自分で決めることができます。

 

 

実社会では私は彼らとは二度と関わりたくありません。被害を被るからです。

 

ただワンネスの感覚というのは、大樹の葉っぱ1枚1枚が人だとして、「隣の葉っぱが嫌い!」と言ったところで、同じ幹、同じ大地から栄養をもらって生きているし同じ太陽のもと生きているでしょう?ということで、この意識と実感です。

隣の葉っぱが落ちれば自分により陽が当たるのにと何らかの方法で蹴落としたところで、それは自分の一部が落ちたということに過ぎない。

これをあくまでも知るだけではなくて体感として感じることです。

インド哲学で無知が罪とされているのはそういうことでもあります。無知はエゴによって増大します。

 

 

今となっては彼らには、慈悲と感謝の気持ちを抱いています。光と闇の統合というのは、みんなこうやって「おかげさま」で成り立っているのだから。

 

この世は映画やゲームみたいなもので、どの役を演じるか退屈しのぎで遊んでいるような感覚。それくらい力を抜いて楽しんだらいいと思うのです。実際にヨガや何らかの方法で身体の力みや緊張を取るのもいい方法だと思います。呼吸法や瞑想もワンネスへの道です。私もその道半ばです。