2024.8.11.Sun

瞑想いろいろ

 

ヨガといえば第一に健康や美容の効果を期待されることが多いです。もちろん結果としてそうしたメリットはありますが、そこにばかり気を取られていると本来のヨガを知らないままになってしまいます。

 

経典『ヨーガスートラ』では瞑想を深める為の8つのステップ『八支則』が記されていて、その3.4番目にヨガの項目があります。ヨガや呼吸法は深い瞑想の境地へ至るための階段のひとつ。

あくまでも目的は深い瞑想状態へ至ること、ということで今回は様々ある瞑想のうち、私が日常的に行っているものをご紹介します。

 

 

動く瞑想(ヨガ)

上記したようにレッスンで行う様々なポーズはそもそもより深い瞑想状態へ誘う為のものであり、ポーズ自体も瞑想姿勢となっています。呼吸と連動して体を動かすことで意識が内観する方へ向かいやすく、集中力が高まります。

 

更に私がよく意識するのは「骨でヨガをする」ということ。お肉を全て削ぎ落として骨格だけになったようイメージすると、筋肉で強引に動かしたり誤魔化したりもできず、正しいアライメントが明確になり、余計な雑念もなくなり、より集中状態を維持しやすいと思います。

 

先生に教わっている時ではなく、できればシークエンスを覚えて(太陽礼拝だけでも)、美しい音楽のように中断することなく流れるように、ひとりきりで、歌詞のない曲(もしくは自分の呼吸音)をBGMにして、天然白檀などのお香を焚いて、ほんの数分でもいいので【自分だけのヨガの時間】を作ることをおすすめします。

 

 

 

トラタカ瞑想

トラタカとは「凝視する」という意味でキャンドルを使った瞑想法です。

楽な姿勢で座り、目の高さに来るようキャンドルを置きます。その炎に一点集中し瞬きせずじっと見つめます。閉じたくなったらそっとまぶたを閉じます。閉じてもまだ心の目で見つめています。じんわり温かみを感じつつ、まぶたに残る炎の残像を見つめるのです。そしてまたゆっくりと目を開けて炎を見つめての繰り返し。

 

炎のゆらぎ自体にリラックス効果があるので手っ取り早く瞑想状態へ導かれたい時、ざわつく心を鎮めたい時にキャンドルというアイテムを使います。PC等で目が疲れている時の眼精疲労改善にも効果あり。Office YogaやPrivate Yogaでも1番人気が高い瞑想方法です。

 

くれぐれも換気と火の取り扱いには注意してください。キャンドルはできれば天然蜜蝋やソイワックスなどで作られているものが良いです。石油系パラフィンワックスは煤ができやすいようで、私は天井を煤だらけにした経験があります。。

 

 

 

ヴィパッサナー瞑想

ヴィパッサナーとはありのままを観察すること。別名、実況中継瞑想です。

 

自身の状態を客観的に観察します。今していること、感じていることをただ淡々と実況していく方法です。

朝起きた時から、仕事中も食事中も歩いている時も、もちろんヨガ中も、アナウンサーのように状況を心の中で呟いていきます。回想してはいけません。例えば「私は今お腹が痛い」と実況した時に「何でだろう?嫌だなぁ。変なもの食べたっけ。確かお昼は…」などと紐づかせてどんどん展開して行きません。ただ「お腹が痛い」だけです。

 

これはとにかく「今この瞬間」に焦点を合わせてその感覚に気づき実感することが目的です。とはいってもついつい連想される過去や未来に深追いし、意識がびゅんびゅん飛んでしまいますね。であれば「思いを巡らせている」「心がざわついている」というその事実を実況すればいいです。でも出来るだけ「今この瞬間」の実況をしてください。あくまでも観察するだけ。反応しません。

 

このトレーニングを続けていると、外の世界が一定ではなくどんどん変化していくのと同じように、この身体も心も一定ではなく、構成している微粒子が生まれては消え、生化学反応が起き、次々に一瞬一瞬移り変わって変化しているということに気づきます。「私」などという確固たる不変的な存在はないのです。

 

外の世界も自分という存在も、なんと無常ではかないものであるか。「これが私!」「これは私のもの!」と執着することが苦しみの始まりです。外の世界も自分も無常であることを体感できると、無我の境地へ達しやすくなります。

 

 


 

 

むかしむかし、ヨガ仲間30人程度と神戸の港で瞑想しようという話になりました。まわりには観光客がたくさんいて騒がしく、私たちは物珍しそうに見られたりもしました。

いわゆる瞑想に適した環境ではないかもしれない、そんながやがやしているなか坐禅を組んで瞑想を始めました。

 

しばらくして、通りすがりの男性が私のすぐそばでとても大きなくしゃみをされました。普段だと大きな音にはびっくりするのですが、その時は「男性がくしゃみをした」という認識のみに留まり、1秒も集中が途切れることはありませんでした。

反応や判断をしなければ、ただその事実が次々に淡々と起こっては移っていくだけ。その男性が通り過ぎてもう見えなくなったように。そんなことに気づいた体験でした。

 

そして自分も同じように次々に生まれ変わっていると気づくと身体と外界の境界線が曖昧になり、じわりと空間に溶け込んでいき、全てと一体となる感覚がしました。この溶け込む感覚を覚えてしまうと、いつものヨガ後のシャバーサナでできるようになります。

 

ニュートラルな状態に戻り、安寧と至福を体感できるからこそ私はヨガや瞑想を続けられています。心が動いて仕方ない日もありますが、帰り道を知っているからいつでも帰ることができるというのは、生きていくうえで大きな支えになっています。

呼吸法とヨガをされているならその先の瞑想まで探究していくと、もっともっと楽しくなると思います⭐︎