2024.8.5.Mon

パリ五輪で思うこと

 

 

いとこのお兄さんが近代五種のオリンピアンでした。そのときは親族で盛り上がったようですが私はスポーツにはあまり興味もなく、普段観ることが全くありません。

でも柔道だけは別。重心や関節など身体の使い方が面白くて勉強になるし、武道とその精神が好きだからです。

 

4年ごとに違うものになっているのでもはや柔道ではなくJUDOとしてみていますが、今回もレスリングのようだったり子供の喧嘩のようだったり更に変容していました。私の好きな【柔よく剛を制す】の原理もどこへやら。

 

同じ〇〇道に剣道がありますが、剣道を五輪競技に追加することには全日本剣道連盟が断固拒否していると聞きました。JUDOのように勝利至上主義になり武道ではなくなってしまうから。

競技人口が増えて盛り上がり業界の経済が向上するというメリットを捨ててでも剣道がただの点取りスポーツになってしまうことから毅然と守っていらっしゃることに感服します。

 

 

 

日本の〇〇道で大切にされている礼節、高潔であること、そういった精神からくる品格ある振る舞いが大好きです。先日の日本人選手は、金メダルが決まったその時でさえ顔色ひとつ変えず、帯を締め直し、一点を見つめてどっしりと立って、相手選手が立ち上がるのを静かに待っていました。この姿には痺れました。

 

 

これはただの好みです。勝負に勝つと(酷いものは1点取る度に)雄叫びをあげてはしゃいで観客を煽ってアピールして…という振る舞いがありますが、とてつもなく萎えます。そういうスポーツはそもそも見ることはありませんが、柔道はJUDOとして切り替えてみていたなか、その所作はいっそう孤高に光って見えました。

 

 

私もヨガを始めた20年前からヨガ道として続けてきましたが、時代やライフスタイルに合わせて変えていくことはアリだと思っています。実際にインドの修行者のようにはできません。インド哲学やお釈迦様の仏教、大乗仏教などのいいとこ取りのハイブリッド。でも絶対に変えてはならない本質の部分はずっと大切にしなければいけないと改めて感じました。時々踏み外して遊びつつも、時々真理に触れて身を正すという繰り返しです。